言葉のセンスが合わない夫婦

私は語尾に対して、生理的な嫌悪を覚えるときがある。
「~ですよね?」
「~なくないですか?」

これらの言葉は、自分が発言者であるというクレジットをなくして、相手に責任をなすりつけている。

つまり、相手がYESと言ったらなにかあったとき「あなたYESって言ったじゃない」と自分のことを棚に上げて相手に全てをおいかぶせる気マンマンということ。

そういう姑息な考えが見え隠れするから、気持ち悪く感じる。
正体不明のヘドロを肌になすりつけられる感じ。

また、常に相手に疑問型で投げかけるのも私の中ではOUT。
相手の意見も聞かないと分からないから、疑問型で聞くんじゃん!と思う人もいるだろうが、相手に答えを決めさせるということは、やはり責任のなすりつけ。自分で決めるのが怖いから相手に聞いてみるという、勇気のない・決断に自信の持てない人が使う手段。
その人の心の自信のなさが透いて見える分、イライラする。
間違ってもいいじゃないか、間違うからこそ修正して、成長できる!くらいの気概をもたない人とは一緒にいても楽しくない。

ほとんどの人は、無意識のうちに自分の心の強さに比例した言葉選びをしている。
言葉選びによって、その人の印象はずいぶん変わる。
それを知らずに、気持ちの悪い話し方をしている。
たかが言葉、されど言葉。言っている自分は常に自分の言葉を耳にしているのだから、責任逃れをする言葉を言っている人は、どんどん暗示にかかって、さわやかな世界から遠のいていく。

私は何度かSにこの話をして改善するよう求めるのだけど、内容がまったく理解できないらしい。語尾などたいしたことはないと。
そうこうしているうちに、私の中で生理的嫌悪が増大して、いろんなものをSと共有することに嫌気がさしてきている。
その人が嫌いというより、その人の心根が嫌いみたいな感覚。

私はSと問題を共有し、一歩ずつでも進んでいきたいと願っているが、Sは自分が理解できないものは、放っておけばいいという考え。
だからSは何年経っても同じ位置に立ち続け、私は別のステージにいるという乖離が生じている。
そんな私の取った手段が、Sに対するあきらめ。
あきらめれば、諍いは起きないけど、愛情も消える。
貴方が世界で唯一の大切な人という感覚ではなく、貴方は替えのきく人という存在に成り代わってる。

夫婦というのは、こういう他人の集まりなのか?とついつい思ってしまう。
嫌いがドンドン進んでるなー。