恋愛ができるのは美男美女だけと思っている人は、価値観の多様性がみえていない

私も表題のように、ちゃんと恋愛ができるのは恵まれた容姿を持ち合わせた
人だけだと思っていた。

ところが容姿に恵まれていても一向に恋愛が成就しない人もいる。
ということは、この考えは間違いなのか?

昨日「わたしの思考探究」という番組の中で、泉谷閑示先生が「自分のことを

好きになって初めて、恋愛の地場ができる」とおっしゃていた。
自分が自分のことを好きでもないのに、他者が自分のことを好きといってきても
相手の趣味(自分のことを好きだということ)が悪いといって、つっぱねてしまう。
だから、いつまで経っても恋愛ができない。

心の中に「所詮自分なんてブスだし、器量ナシだし、好きになってくれる人がいる
わけない」という思いがあったなら、いくら他者が真剣に「アナタのことを好いて
います」と言ってきても、「うっそー」ってなってしまうのだ。

人間は自分たちが思うよりも、多様な価値観を持っている。
ある人にとっては、全く魅力と思えない点が、別のある人にとって、とても魅力的に
映る。だから美人という定義は、「より多くの人が、キレイだと思う顔・形をしている
こと」を指しているのであって、「全ての人間が美人と定義される人の顔・形が
大好きだ」ということではない。

つまり少数であったとしても、美人以外の人間の顔・形が好きな人はいるだろうし、
もしかしたら、顔・形以外に重きを置いて、人を好きになる人もいるかもしれない。
そのような考えを取り入れることができるならば、誰しもが平等に恋愛できると思う。

人はミラー効果があって、好きになってくれた人には、よい印象を抱くのだ。
けど、好きになられても迷惑だと思うならば、好きという感情が、へんにこねくり
まわされた異常な感情であったか、もしくは受取手が自分のことを嫌いだから、
他者に好意を持たれることを素直に受け取れないかのどちらかだろう。

人はもっと純粋な存在なのだと思う。
好きという気持ちを持つことは尊いし、自分をみつめる絶好の機会となる。
恋愛は恵まれた人だけがするものではなく、感情を持った人として生きる全ての人が
するものだ。

失敗してこそ教わる事が多いという先生の言葉を、今の恋愛奥手の若者達は
よくよく理解して欲しいと思うのです。