孤独を受け入れるヒント

アスペルガー障害の子が親をケガさせてしまった場合、指導員に反省しなさいと
諭されても「僕はお父さんを30回殴りました」としか、反省できない。
けして「お父さんにひどいケガをさせてしまった、申し訳ない」という思考回路は
動かない。

この記事を読んだときは、さほど気に留めていなかったが、実はここに「孤独を

受け入れるヒント」が隠れているのではないだろうかと思い、書くことにした。

アスペルガーだからとかいうことではなく、人というのはこれほどまでに、個々で
思考が異なるのだ。
よって、我々が多用する「普通~」という言葉は、実に意味を持たない。

恋人が浮気をした、旦那がお給料を入れてくれない、妻が家事をしない、ママ友
が誘ってくれない、××ちゃんが私をのけものにする・・・etc
そういう愚痴を言う人は、心のどこかで「普通××だよね」と思っていて、その通りに
相手が動かないから、腹が立つのだ。
ところが、その「普通」は自分のルールであって、他者は異なるルールで生きている。

孤独を受け入れるとは、他者が異なるルールで生きていることを認めること。
他者は他者なのだから、きっぱりと境界線を引くこと。
例えば、
恋人が浮気をした-->私の心は不快になった-->恋人が浮気をしたい
のは恋人の自由-->私は心を大切にしたいから、恋人から去る
                                        以上

ここで、
普通恋人(私)がいるのに浮気をするなんて許せない。謝罪させて二度と浮気しない
ように約束させよう 
などと思ってはいけない。
恋人は浮気したかったんだもの。
[恋人はほっとけ。自分の心を優先して生きろ。]←これが孤独を受け入れるって事。

アスペルガーの人が、反省しなさいと諭されても理解できないように、恋人は
反省しなさいと言われても、納得できないのだ。

それくらい人と人は離れていて、独立している。自分の欲を前に、相手のことなど
くみ取れないのだ。
孤独とは、とても厳しい状態だと思う。
世界に一人で立ち、一人で生きる。
人と人は支え合って生きるものですよ~と習った我々にとって、なんじゃそれ?
と思うのは当然、。
でも、本当に人と人はまず孤独を受け入れないと、その先の愛に繋がれないのだ。

どうぞ、この記事を読んだ人は、孤独の意味について、そして自分が孤独である
という真実について、考察いただきたいと思うのです。