心をねじ曲げるほどの絶大な力
数日前に自分のゆがんだ思考に気がついた。
だけど、思考がゆがんだ原因がわからない。
前回のセラピーの中で、したいと強く思うのに、やらないには何か原因があるという
ことで、一生懸命探したけれど見つからなかった。
どうもこの原因探すのが難しそうだ。
ということで、思うことをつらつらと書いてみた。
すると自分にはこのような特徴があることが分かった。
「たま~におおげさにものをいう・振る舞う」
例えば、父親が「転勤かも」と家庭内で話したら、すぐに学校で引っ越しするの
と言ってみたり、親に殴られたときに、大げさに痛い痛いといってみたり。
それはなぜかって考えたら、ズバリ注目が欲しいから。
みんなに大事にされたい、存在を認めて欲しいと思うからこそ、わざと
話を大きくする。
そうやって、[××ちゃん(私)がいなくなると寂しい~]や、[大丈夫?]という
言葉を集めようとする。
そういった類の言葉をかけられると、安堵する。あーーここにいることを認められて
いるって感じがする。
どうも私は気にかけてもらうことを渇望しているらしい。
遡って幼稚園の時、ブランコの飛び降りをしたかったのだけど、ケガをするから
飛び降りを我慢した。
心は「やりたい」という。身体も「飛べるよ」という。ところが頭に浮かんだ親が
「ケガしたらどうするの?」という。
愛情も注目も全て弟に奪われているのに、さらに親からしかられるなんて耐えられ
ないと思い、飛ぶことを思いとどまる。
私は親からこれ以上愛されなくなることが怖かった。
すでに愛されていないのに、もっと疎外される。だったら自分の心の声なんて
握りつぶしてしまえ。
そうやって、自分を殺した。
子供は親の愛情を得なくては生きていけないと、本能的に知っている。
だからことのほか愛情に敏感だ。
ただでさえ薄い愛情がこれ以上なくなるとしたら、それは恐怖以外のなにものでも
ない。死ぬくらいなら、心を差し出しますと思うのは、致し方ない。
アダルトチルドレンの出発点はこんなところ。
愛情を一身に受け、なんの疑問もなく生活をしている子供には到底理解できない
究極のかけひきが、たった5歳の子供の中で行われている。
愛情という絶大なる力を前に、どんな心の欲求もねじまげられてしまうんだと、初めて
しりました。