文句ばかりで解決策を言わない人の心の中

親が私の寝ている部屋に入ってきて、「クサイ」という。
フケの臭いがするとか空気がこもっているとか。

そりゃ、日中居ないし、開けっ放しで寝るわけにもいかんから、空気もこもるでしょう。

親からさんざんいろんなことを言われた。

歯が汚い・姿勢が悪い・日本語が汚い・友達少ない・臭い・ファッションがハデ
なかなか凹みますぞよ。

でも、他者が今の私を見てこんな風に言われていたなんて信じられないと思う。
親の文句は、けして真実を物語っていたのではなく、なんとなく親のカンに障った
ことを羅列したに過ぎない。
客観性の欠如した批判なのだ。

親が私を褒めてくれるのは、成績がよいときとお手伝いをしたときだけ。
それ以外はケチョンケチョンに子供をけなす。
まともに子供の心が成長するわけがありませんね。

ところで、なんでそんなに子供を批判していたかというと、一つは過去に親自身
が親に躾と称して文句を言われていたからだと思う。
もう一つは、自立していない人間の特徴-悪いことはみんな他者のせい-ってやつだ。
親が子供をケアすれば、子供は自分をケアする方法を知り、自然と身につく。
ところが、親が子供を罵倒しているのに、子供は自分のケアをするものだという。
どうみても矛盾。
でも、親が子供を罵倒しているというところは、都合よく頭の中でカットされているので
他者である子供に全て責任をなすりつける。

おそらく私が事実を親にぶつけて、なんて責任のとれない人間だ!と叱っても、
親はそういう意識すら持ったことがないから、ポカンとするだろう。
罪の意識をもって初めて、人は懺悔する気になる。

親もまた、自分の親から愛情をもらうことなく成長したため、自分を愛することができず
常にビクビク怯えていた。
だから子供のことで、世間から批判されるなんて怖くて耐えられなかったのだろう。
(とにかく普通に問題なく育てっ!)と心の中で唱えていたに違いない。

問題に向き合う、問題を絞り込むという行為は、不安から脱却し、冷静になって
初めてできる。
文句ばっかりたれて、不安真っ最中の人間は、その不安の非論理性に気付かない。
そんなに不安なら、一回自分を死ぬ気になるまで追い詰めて、開き直るという荒療治
も必要かと思う。

中途半端に周囲が慰めていては、本人は一生文句をいって、責任と採れないヤツ
と白い目で見られる悲惨な人生を送ることになるのだから。