地震にあったときの知人の反応

やっとちょっと元気になってきたので、文章をちょこちょこ書き始めようと思います。

被災してすぐは、ケイタイの電池がほとんどなかったので、親に「生きてる」とだけ
メールして、すぐに電源を切りました。
その後3日して、電気が復旧してから後、メールをたくさん受信しました。
古くからの友人がとても心配してくれることは、大変ありがたかったです。
一方、単純に興味だったり、一言「大丈夫?」って述べたあとは、「自分は大丈夫
だった」(関西在住)や「皿が落ちてあたった」(震源地から遠い関東人)と自分のこと
ばかり並べる知り合いがいました。

こういうときに地震で怖い目にあった人に寄り添い、なんとか力になろうとする人と、

とりあえず相手を気にかけるけど、基本自分がよければヨシと考える人に分かれます。

後者のメールをもらうと、心の中で残念の鐘が鳴ります。
やはり付き合う人は選んだほうがいいなと心から思いました。

人間には人の心を推し量るという優れた能力があります。
けれども能力はつかわなければ、さび付いて、使えなくなる。
こういう事態になった今だからこそ、さび付いた能力にやすりをかけ、さびを落とす
努力をしてはどうでしょう?
支えあって生きなければ、こんな辛い状況乗り越えることなんてできないですから。