愛は厳しい

耳に心地よい言葉だけを発してくれる人が、愛のある心やさしい人だろうか?
~愛とは、その人がその人らしくいることを認めること~
その言葉だけを聴くと、相手を批評する言葉を言ってはならないように思う。
けれど、その相手が、他者の領域を侵す言葉を使っているのに、見て見ぬふりを
するのは心やさしいだろうか?

誰かが尊重されるのと同様、その誰かが対峙している相手も尊重されるのが

フェアーな関係だろう。
だからこそ、私は相手が他者の領域を侵していることをしっかりと知らせる。
そして嫌われる・・・。

日常の言葉を分析してみると、情報の伝達、同意を前提とした意思確認、主観を
述べる がほとんど。
言葉は相手あっての存在なのに、心理的に相手が見えていない。
この相手がいるからこそ という言葉の選択がない。

私は寂しい。誰と会っても、きっと相手の見えない会話をするだろう未来に絶望して
誰かと交わることをあきらめている。
あとどれくらい、こういった寂しい生活を続けていくんだろう。

人間のことが見えるにつれ、友達や恋人を作ることは難しいんだなぁ~と感じます。