社会人になると友達ができないのはなぜ?

子持ちなら子持ち同士、離婚経験者なら離婚経験者同士、同じ境遇を持った者
同士は、話が弾むことが多い。
表面的に見るなら、共通の価値観を有しているからということになるのだろう。
では、共通の価値観を持つと、なぜ話が弾むのか?

それは「会話のどこを切り取っても、自分の気持ちが表現されているから」

ではなかろうか?
まるで独演会をするが如く、自分の気持ちを表現するのに最適な言葉が会話の
隅々まで埋め尽くされる。この会話の場は、自分という人間を認められる場なんだ
という肯定感がより一層、この場が心地いいという気持ちを増長する。

当然ながら会話は話す側と聴く側に分かれる。
同じ境遇同士だと、話すと聴くは、同じ心理的位置に属するため、心理的差は
わずかだ。
一方、まったく異なる境遇同士だと、話す側と聴く側双方に会話内容を理解する努力が
必要とされる。
海外では、話が通じないのは、話し手の技量不足と取られる。日本では、話が通じない
のは、聞き手の理解力不足と取られる。話をする側が相手に理解して欲しいから口火
を切るのに、日本では相手に理解力を求めるなど、ずいぶんと乱暴な考えだと私は思う。

ところで、この聴くという行為、思ったよりも人間力、忍耐力を要する。
聴く側は気を抜けば、「私だって~」という言葉がでてきそうになる。
そこをぐっと我慢して、相手の言いたいことを探る ということをし続けられるのは
聖人でもない限り難しい。
だから一方が聴くに徹していると、当然ながら聴く側は疲れる。
聴くことが大変だと分かっている者同士だと、話したら聴くというバランスの取れた
会話ができる。
ところが聴くという行為をしたことがない人間は、聴くなんてたいしたことないだろう
と思い込み、自分のことをしゃべりまくる。
当然相手は心の中で嫌気が差し、「あーこの人とは一緒に居たくないな」という気持ち
が芽生え、自然と距離を置かれる。
だから真の友情とか信頼は生まれない。

ところがこのような我の強い人間であっても、同じ境遇の人間とはうまくいく。
相手が自分のことを話してくれていると思えば、しゃしゃりでる頻度が下がるし、
なにより自分のことを喋りまくっても、相手はまるで自分がしゃべっているように錯覚
するので、「なんて私のことを分かってくれている人なの」と相手が解釈してくれる
のだ。
つまり同じ境遇はどのような性格の人間でも気が合う状態をつくってしまえるため、
友達ができやすい。

学生のときはたくさん友達がいた。けど社会人になったら友達ができないと嘆いている
アナタ。本当はアナタの技量がなくて、相手の心理的世界が見えてないだけなんじゃ
ない?
すべての人間は、アナタの延長にある価値観ではなく、個それぞれの価値観を持って
いるんですよ。
それに気が付けば、注意深く相手の話に耳を傾けることくらいはできるでしょう。
案外他者の世界を覗くっていうのも楽しいかもしれないよ。