やさしさについて考える

やさしさには「包み込むやさしさ」と「尊重するやさしさ」があると思う。
どちらか一方だけだと、やさしさが不足する。

求められたことに応えるのがやさしさと思っている人がいる。
その人には、やさしさの本質が見えていない。
やさしさとは、相手が声に出していえることもいえないことも含めて、受け止め・尊重すること。
人は強くないから、全部が全部口に出していえるわけじゃない。
人は賢くないから、全部が全部自分の要望に気付けるわけじゃない。

「包み込むやさしさ」は、声にならない要望を拾おうとうする力。

人間の不完全さを受け入れた上で、なお人間を好きだという気持ちの現われ。
言ってみれば、できの悪い子供ほどかわいいの精神。

「尊重するやさしさ」は、声になった言葉の意味を受け止め、声の主と一緒に判断する
力。尊重するからこそ、その真意を考える。

やさしくあることは、生半可な気持ちでは維持できない。
実はとても忍耐強く、そして思慮深くあらねば、そのようにいられない。

Sさんは、やさしさとは「尊重するやさしさ」一辺倒だと思っている。
過去に相手が言ったこと、今相手が言ったこと、ただそれを実行することがやさしさ
だと信じて疑わない。
つまり人間の本当の弱さや脆弱性に目を向けていない。

言葉にならない言葉こそが本当の要望なんですよ。けど口に出せないその不完全さ
を愛してこそのナンボでしょう。
優男、いい人、この類は皆、Sさんと同じくやさしさの一方しか見ていない。
そんなのやさしくなんてない。常に自分の要望を把握できる完全な人間でいろという
威嚇。

世の中にはびこるやさしさってなんだろうと一人一人考えないと、やさしさの精神が
消えてなくなりそうな気がした。