ピンチの時こそ分かる、身近な人の他者認識度

ドラマのあるシーンを見ていて、気がついた。これってやさしい?

シーン:妻が風邪をひいたと夫に伝える。夫は「薬飲めば?」と返答する。


妻は「薬飲めば?」の返答が欲しくて、風邪であることを伝えているのだろうか?
私の想像では、おそらく<気遣って欲しい>
<できないこともあるので代わりにやって欲しい>という意味ではなかろうかと思う。
風邪をひいたら、薬を飲んで治す←は夫の治し方であって、
妻は別の治し方←優しい言葉をかけられて免疫UP&身体を休ませる かもしれない。
しかし、この夫はそういう可能性も含めて一切を排除している。
己==他者 の典型的な例だ。

同様に常に「~しようか?」と質問してくるのも、場合によってはどうかな?と首を
かしげる。
常に指示従い族。自分では判断できない。
そりゃ~勝手に判断すれば間違うこともあろうさ。相手の怒りを買うこともあろうさ。
でも、相手が弱っているときに代わりに判断してやるやさしさっちゅーもんはないんか?
他者を理解する努力をしない怠慢な例だ。

日常を振り返ったとき、先に挙げた2例はあちこちに転がっている。
むしろ、「大丈夫か?ゆっくり休めよ。薬持ってくるよ。それと×と×と×をやって
おけばいいかな?」なんて返してくるよき理解者は、稀だ。
だからこそ、ピンチ(病気や震災)の時ほど、相手への落胆が大きくなり、元気になって
から、信頼しあえない関係に陥るのだ。

震災が起きた事による離婚の発端は、おおよそこういったことの類だろう。
人は助け合い、支え合うために生きている。
それを放棄した時点で、貴方は相手に心の中で棄てられるのです。