完璧な子供にはなれない

親が私に望んだこと「自慢の有能な礼儀正しい子供である」こと。
だから「勉強しなさい」と口うるさくいった。
試験成績をみて、1番だと満足、そうでないと不満だった。

ちょっと伸びたから褒めてくれるということはない。

これ以上ないほどに上位だと、親が満足するだけ。
只の虚しい受験レース。

こういうことを繰り返す内に、自分は才能がないんだ/頭のいい人は生まれた時
から頭が良いんだ と思うようになった。
最初独走していた成績も、次第に下がってくるように。
余計落ち込んで、自分を卑下するようになる。

仕事についてからも同じ。パーフェクトを目指す。
努力努力努力。身体が壊れるまで努力。
でも納得いかない、そしてできない自分を責める。
うつになる性格まんまですな。

私のような性格の人、けっこういるのではないでしょうか?

身体も心も疲弊して、けど誰も頼れる人がいなくて、暗闇をさまよう内に見えてきた
一筋の光。
それが自分を認めることだった。
犬の面倒を見られる自分、ご飯を作れる自分、考えられる自分。
どんなに些細なことだって、実際に出来ているから今日生きている。
親に認められなかった「そのままの自分」を認めることで、ちょっとだけ楽になった。

最近は天才もありのままを見せていい時代。
レディーガガだって不遇の時代があり、天才パティシエだって、今も尚悩みながら
ケーキを作っている。
そういう成功者の真実を目の当たりにする度に、「この人たちだって、普通の人。
むしろ苦労した人」ということに気がつく。
凡人との違いは、立ちふさがる壁に屈しなかったかどうかだけ。
屈するなんていうと不屈の精神・強靱な精神を持った特別な人と感じるかもしらんが
そうじゃない、コツコツと出来ることをやり続けただけ。
そのコツコツこそが、もっとも忍耐力がいる。ただ瞬発力はいらない。

みんな凡人なの。
最初からスーパーマンじゃない。
ギフティッドと呼ばれるずば抜けた頭脳の持ち主だって、正当に評価されないこと
もある。スーパーマンさえも苦労する。
一人に与えられる総量的能力は等しい。
能力を能力として大切に育てれば成功者に、諦めたり胡座をかけば、凡庸な人に
なるだけ。

我々凡人が見習うのは、成功者のコツコツ。
そしてちょっとでも変化した自分への賞賛。
やればやっただけ、なにかが変わる。それを自分で褒めれば、また伸びる。
結局大人も子供も成長のプロセスは同じ。
楽しみながら日々を暮らせば、明日が来るのは楽しみになる。
白昼夢より足下を見よ。その方が着実性があって、肌で進歩を感じられる。