「まとわりつくなにか」の正体

中学の時に岡本太郎さんの家の近くに住んでいた。
岡本氏の家は、お菓子の城のような、へんてこりんな形なので、とても目立つ。

「芸術は、爆発だー!」の言葉が印象的な岡本氏は、凡人の私にとって、理解しがたい

存在だったので、今まで近づいたことがなかった。
ところが横尾忠則氏の対談を読む内に、岡本氏に興味を持ち始め、「今日の芸術」
という書籍を手に取った。

これは50年ほど前に書かれた文章だが、今も尚輝きを放っている。
本質を突いている。
長年、私を苦しめてきた「まとわりつくなにか」を文章で表しきっていた。

常識とか比較とか、そういうもののうさんくささを生活の中に感じながら、効率的に
生きようと努力していた過去を振り返って、もっと早くこの書籍に出会いたかったと
心から思う。

上手く生きる必要などどこにもない。
ところが、エリート街道を走れだとか、「普通」に生きろだとか、とかく世間なる邪悪
な存在は、我々を常識という枠に当てはめて、生き方を強制する。
その強制が私にとって、息の詰まる存在であり、「まとわりつくなにか」だったわけだ。

特に自信のない両親の元で育てられたために、神経症的に、強制の生活を送る
毎日だった。
今思い返しても、田舎に住んでいて、幼稚園から受験するなんて異常だ。

自信のなさを子供の栄光で払拭しようとする浅はかな戦略は、いずれ化けの皮が
はがれ、その弱々しい肢体がさらされる。
年を取って、尚栄光の世界を求める様は、もはや可哀想としかいいようがない。

岡本氏の文章は、そういういやらしい何かを文章として表し、そうじゃない!と
大声で叫んでいるように思える。
正解なんてないのに、正解を無理矢理探そうとして、結果自分で自分の首を
絞めるといった愚行に気がつかず、表面的に洗練された嘘くさい人生を歩もうと
する輩がいる。
そして、その嘘くささを見抜けずに、「凄い!」と感嘆して、そのおこぼれに預かろう
という輩もいる。
そういう者への愛の鉄槌が、岡本氏のメッセージだ。

一流大学に進みたい、大企業に勤めたい、一生安泰で暮らしたいと思う人ほど
この書籍を読み、自分がいかにちっちゃな世界で、暮らそうとしているかを知ると
いい。
人生が筋書き通りに進むことが、正解なら、その人生はいらんでしょう。
人は、何かをするためにこの世に生まれたのだから。
可能性は、台本に書いていない。