救われるかどうか

昨晩「天才百瀬とやっかいな依頼人たち」というTBSのドラマの終盤で、百瀬の
事務所の事務員(キムラ緑子)が
「自分の子供が未成年の起こした事故で亡くなった。もし先生(百瀬)が自分か相手の
弁護士としてその場に居てくれたら、救われたと思う」
といった台詞が頭に残る。

世の中「金、金」となんでも金銭に置き換えて解決しようとする。

でも、傷つけられたのは、本人や遺族の心だ。
その心を置いてけぼりにして、他の物ですり替えても、心は癒えない。

物事にひるむことなく向き合うことの出来る人は少ない。
みんな小心だから、逃げたい、早く終わらせたい、忘れたいと自分の責任から
目を背ける。
そういう姿を見て、被害者はいたたまれない気持ちになる。

そんなとき、もし逃げることなく向き合う誰かに出会えたら、一筋の光になるの
ではないだろうか?
「救われる」って、とても大切なことに思う。
救われるから、明日も生きていける。人間を信じていける。

人は人を救うことが出来る。
そして、誰もが心を入れかえれば、救いの手を差し伸べる人になれる。

キムラ緑子さんの「救われたと思う」と言った台詞を自分の中で反芻する。
どう生きていれば、救われる人を一人でも増やせるのだろうか?