ジェンダー問題

私は人が異性を愛そうが、同性を愛そうがどちらも意識の上で区別しない。
人を愛する気持ちは性別関係なく尊い。

でも、同性を好きな気持ちや自分の性を受け入れられられず性転換をしたり

格好を変えたりすることに反発する人もいる。

水無昭善さんは、おねえ和尚さんらしい。
親は水無さんの生き方を受け入れてはくれなかった。
だから仏門に入ったのだと思う。

なぜ、自分の子供が自分の思ったように生きなければ、押さえつけてでも自分に
従わせようとするのか、親だからといって、子供を支配できると思うのか、そこが
私には理解できない。

どんな間柄の人でも、自分以外は全て他者である。
他者は自分の手が届く範囲ではないと諦めることができないと、いつまでも確執は続く。
人の幸せは支配によってもたらされることはない。
自分で選んで、自分で進んでいくから、”生きている”実感が湧き、責任が取れる。

常識とはこういうものだーと掲げる人は、頭が固い。
そして考える力がない。
自分で考えられないからこそ、古来からの考えにしがみつき、その考えを
あたかも自分の考えかのように勘違いする。
自分の考えを超えるものが目の前に来たとき、考える力がないから、そして考える
力がないことを露呈することが恥だから、手っ取り早く排除する。

頑なな態度を取る人ほど、能力が低いと思って間違いはない。
フランス人はドイツ人を排除するのか?中国人は台湾人を認めないのか?
違うだろう。色んな国のいろんな人がいる。それが世界なのだ。
人種はあって当然なのに、ジェンダーは、どうして一種類しか認めない?

今は少しずつ世の中もジェンダーフリーを受け入れるようになったけど、まだまだ
道は遠い。もっと考えることに忠実になって、本当に自分の力で判断できる人が
増えて欲しいと思うのです。