回避性の性格

ビジネスの現場で活躍できる人とは、恐れをものともせず、眼を見開いて事態を把握し、最善の方法をもって対処できる人です。
そのためには、見えない恐怖に立ち向かう勇気を持たねばなりません。

ところが最近、この恐怖に背を向けて逃げたり、恐怖が来そうになると避ける動きをするビジネスマンが増えました。

経営者としては嘆かわしいことと思います。

ではこのような姿勢の人が出てきた、そして徐々に増えつつある原因はなんでしょう?

それは、画一性の追求です。

-勝つこと、勝ること、抜きんでること、平均は最低でも取ること-
我々第二次ベビーブーム以降の人間は、それを目標に生きることを求められました。
だから、勝てないと解ったとき、潔く負けるのではなく、平均を勝ち取るという動きをするようになりました。
しかし勝つことと平均を取ることは同時には出来ない。で、どうするか?
最初から平均を狙うのです。
ヤバそうな賭に出るより、今までのやり方を踏襲する。
そうすると、以前のセオリーでは平均くらいの成果は確保できた。

・・・ところが、今は以前のやりかたに刃が立たたなくなって、じゃあどうやって平均を出すのか?みたいなことが課題になっちゃってる。
完全に後ろ向きなんです。
クリエーションとか想像力とか、なんにもない。

平均とかコレが優でコレが劣ね!という枠組みを作ってしまうと、途端にある一定人数は後ろ向きに行動を始めるのです。
よく例に挙げられるのが大企業病。
大企業に入って、これで一旗揚げてやるか!と思う人はわずかで、その他大勢はなんとなく定年までのらりくらり仕事できればいいかくらいな気持ちでいる。
社員がぼぉーっとしている間に、先陣が開発した優秀なリソースは使い果たされ、残り物でなんとか食い扶持をつなごうとするも、押し寄せるライバルや海外勢に勝てず、会社としての足下が揺らぐ。
どこかで聞いたような話です。

人間は誰だって失敗するのが怖い。
でも失敗の定義がなければ、そして精一杯やることが是とされれば、こんな回避が蔓延する社会にならずに済むのです。

画一性の追求は、我々が予測するよりも根深く我々の行動を縛ります。
平均の一線から外れた人が、引きこもり、消えようとする。
そんな社会でいいんでしょうか?

誰しもなにかの才能を持ちます。
その才能に気付いて花を咲かせるかどうかは、周りの態度にも大きく寄ります。
なのに我々はまだ多様性に気がついていない。

例えば手が4本ある人がいたら、それも便利そうと受け入れられるのか。
自分たちとは違う色彩感覚の人がいたら、素直にいいじゃん!と言えるのか。
ぎょっとすること、驚くことが仮にあったとしても、それはその人にとって日常なのです。
我々はもっと頭を柔らかくして、守るべきルールと自由に活動できる歓びの再認識をしなければならないと思います。

縛れば縛るほど人は逃げる。
私は自分の人生を以て、それを知ることになりました。