自分は本当に認められてこなかったんだなと思う瞬間

私は自分の能力を実際よりかなり下に見積もっている。
しかし、自分の仕事の軌跡をたどるとけっこうなことをやっていたりする。
それを改めて感じた時、「認められたい」という衝動に駆られる。

もし私が私を十分に認めることが出来ていたら、他人から認められたいという衝動はそこまで大きくはないだろう。

おそらく私には私を認める心が育っていない。
認めるということが何なのか、分かっていない。

過去に親に認められたことがなく、欠点ばかりを追求されたので、認められる喜びを味わったことがないのだ。

子供は大人を喜ばして当たり前、役に立って当たり前、代わりに夢を叶えて当たり前、メンツを守って当たり前。
子供の私には荷が重すぎるほど、おおきな要求が課せられていた。

当時特段意識したことはなかったが、さぞかし疲れる子供時代だったと思う。
今でも親から受けたスパルタ教育がたまに重く私の頭をもたげてくる。

自分の愛情飢餓の度合いを客観的に見たとき、かなりの渇望感が見られ、異常なくらいそこに執着する自分がいる。

私は認められてこなかったという事実を認めることから、自分を癒やす旅がスタートする。
ーあぁ、本当に私は認められてこなかったんだー
それをしみじみと噛みしめたい。