男性として魅力がない

女性から見て、この人は男性としてみられる・みられないという線引きがある。
どんなにやさしくされても、この人はいい人であっていい男ではないと思ってしまう相手は少なからずいる。
そして、一人の男性が、ある女性にとっては「いい人」であり、別の女性にとっては「いい男」であることはほぼない。いい人は誰にとってもいい人。

もちろん見た目や筋肉量の好みは人により分かれるところだが、そうじゃないなにかーでその分類はされている。

ある記事では、それは生き抜く力の有無と書かれていた。

なかなか確信に近いことを言う。

そして私個人は大局的に見、局所的に見る力の有無だと思う。

現代は原始時代と違って、獲物を追いかけて肉を食らっているわけでも、部族間闘争で殺し合いをしているわけでもないが、それが洗練された形で残っている。
獲物の獲得は社会的地位の獲得、部族間闘争は人間関係のいざこざ(法廷闘争含)に該当する。ちょっと前に話題になったマウンティングなど、後者に他ならない。

古来から変わることなく競争し、勝ち抜いた者がよい地位を獲得できるという社会的流れの中で、女性もまた変わることなく未来に繋げる命を宿し、育てている。
女性は確実にその行為の遂行を望んでいるからこそ、無意識にこの男性はよい地位につけそうか、そうでないか判断している。

では、いつそれをジャッジしているか。
それは日常である。
平穏な日々の中にも、未経験の領域に放り込まれること、不利な立場に置かれることがある。
そんなときに、男性がどういう思考を持って場に対処するかを見ることで、その人の持つ観察力や判断力を推し量れる。
感情的、場当たり的に対処していると感じれば、「(アブ)ないな」とジャッジするし、角を立てず穏便に対処していると感じれば、「弱いな」と判断する。
その判断の遙か遠くに「私と子供をちゃんと守れそうにない、むしろ害を被りそう」という未来を見ている。
あらかじめリスクを回避するために、その男性を「いい人」カテゴリーに分類することで未来の自分を守っている。

直接暴力を振るったり、金を巻き上げたりだけが害ではない。
横暴な振る舞いをする周囲を放置したり、簡単に受け入れてしまうこともまた、害なのである。

結局の所、考える力を持ち、反感を買わない範囲で自らの利益を獲得する者が女性の目に頼りがいのあるいい男として映る。
この「考える力」は大局的、局所的目線を両方持ち合わすことで初めて実現する。

話していて、この人が相手だと頭がクリアーになる!
この人さえいれば、物事がうまくいく予感がする!
という人は間違いなく頼れる。

女性は結婚を経て、出産・子育てという未知の領域に否応なく向き合わされる。
このリスクを背負っても大丈夫そうだという感覚の持てないお相手にはあらかじめ恋愛感情を抱かないようプログラムされているのだろう。

非婚化が進んだ背景には、女性の社会進出により金銭的懸念が減ったことも多いにある。
そして女性が経済的に自立した結果、男性の全体に占める「考える力」のない人があぶり出された結果が、今なのだ。

出会いの数が成婚の可否と即結びつくわけではない。
1000人にあっても結婚できない人はできないし、周りに3人しかいなくても結婚出来る人は出来る。
今がネットワーク社会で、人と人のつながりが指数関数的に増えているのなら、これだけ結婚できないと登録所の門を叩く人が増えるのは論理的に矛盾している。
つまり出会いの数ではなく、当人自身がいい男でないことが何よりも問題なのだ。

つまらぬ言い訳や自慢はやめて、自分が如何に物事を見る力がないかを試してみると、実力不足に愕然とすることだろう。
それでいい、それでいいと思う。
気づけば今からやればいい。
周りは全くやっていないのだから、やった分だけアドバンテージを稼げる。
男性だけに限定するわけじゃないが、「考える力」って本当に大切だと思う。
特に今のように生き馬の目を抜くような時代であれば、なおさら。

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