成功者の後ろで犠牲になる人々がいることを知っておく

世の中でスポットが当たるのは、成功者のみ。
我々が映画を見て感情移入するのは、ヒーロー。

いつの時代も注目される人と注目外の人がいる。
自分が注目される側なら、みんなと同じく視線でいい。だが、注目外の側なら? みんなと同じ目線でいいんだろうか。

私がビジネスマンの時に感じた違和感について、述べてみたいと思う。

私たちに見えてるのは氷山の一角

会社にものすごい仕事の出来る人がいた。
その人は容姿がよく、気配りの達人で、成果もばっちりだしていた。
偉いさんからの信頼も厚く、ひよっこだった私は、ただただ尊敬の眼差しを向けていた。

そんなある日。
ちょっとした裏話を耳にした。
クライアントや女性には優しいその社員さん。同じプロジェクト内の男性には、ものすごく厳しいんだと。

期日までにしっかりとした品質の成果物が出来上がらないと、ボロクソ言う。それも常に命令する仕事の量はヘビー級。
ブロジェクトに関与した男性社員は日に日に精気を失い、もうろうとしていた。

社員さんの私たちに見せる笑顔と真逆の、鬼のような形相。その事実を知ったとき、物事の裏まできちんとみなければいけないのだなと、肝に銘じた。

自分の遭遇したケースが特殊でなかった事実

仕事を辞めてからぶらぶらしてたとき、世の中でも相当注目されていた人物をピックアップした記事を読んだ。
記事は、めちゃくちゃ良いことが書いてある。本人の業績と相まって、説得力は抜群。

思わず著書を買いそうになった。
が、コメント欄を見て驚いた。
過去に私が経験したのと同じく、注目人物のプロジェクトの後ろには、たくさんの死体が積み上がっていたそうだ。コメントは元部下が綴ったもの。

人並み外れた業績の裏には、数え切れないほどの犠牲者がつきものなのだろか?

優れた業績は常に犠牲を伴うものではない

優れた成果がハードワークの賜であることは容易に想像が付く。
だが、そのハードワークは人を消耗させるためではなく、120%の力を引き出すよき機会にもなり得る。
消耗か成長かの違いは、ボスの心ひとつ。
部下への愛があれば、試練は成長へと転じる。

昨今取り上げられるサイコパス。
ひたすら合理的に判断し、情緒がつけいる隙を与えない。
ときとしてすばらしい結果をもたらすこともあろうが、部下もサイコパスではない限り、理解されることはない。むしろ部下だけすり減っていく。

人の心に栄養を届けること、すなわち愛を届けることは、肉体の限界でさえも凌駕する。
だが、栄養なしに尻を叩いて働かせると、肉体も精神も両方燃え尽きる。うつ病を発症する。

物事の表と裏を見る

人間のことをひたすら考えている私でさえも、注目の人物にコロっと騙される。
それぐらい人は見えない部分を見ようとしない。

これからは、光をみたら、影を考えてみる。その影が適正な影なのか、不当な影なのかによって、光の意味も変わる。