私が患者だったころの一番の不満は、言ったことを覚えられていない、ことでした。
カウンセリングが始まると、定形語句のように「どうですか?」という雑な質問を投げられ、頭をフル稼働させて話題を絞り出すのです。
傾聴カウンセリングは患者の自主性に任せて進めることが基本とされていますが、話題を丸投げするのは患者の自主性を育てることになるのか疑問です。
少なくとも私は、見捨てられた気分になりました。
カウンセリングに不信を招かないために
あまりに話したことが持ち出されずにいると、私の頭にふとこんな考えがよぎります。
「このセンセ、私の名前も忘れてんじゃない?」
カウンセリング中に名前を呼ばれることもなく、相槌とそのときカウンセラーが感じた質問を投げかけられるの繰り返し。
性根の曲がった私は、「クリニックは『患者さんの声にきちんと耳を傾けます』と謳ってても、しょせん我々患者の話を聞くのは金儲けのため。手間は最小限に、利益は最大限に、ってことじゃないか」と思ってしまったのでした。
自分がカウンセラーとしてやってみて思うのは、患者の性根がどうであろうとも、そのように感じさせるようなカウンセリングであってはならない、ということです。
でたとこ勝負ではなくきちんと準備する
もちろん使える時間はどの人も等しく、また忙しければ忙しいほど一人の患者さんに割ける時間は短くなります。それでも、患者さんが見捨てられたように感じないためには、カウンセラーは1回のカウンセリングで予習と復習をきちんと行うことが必要だと考えます。
記録を残すという意味での復習と、カウンセリングに入る前に患者さんの世界観を着るという予習。
この二つがあってこそ、患者さんに寄り添う聴き方ができるのではないでしょうか。
日常の会話でも、自分がふとしたときに発した言葉を相手が覚えていてくれてくれると、嬉しく感じます。
「嬉しい」という気持ちが、患者さんとカウンセラーをつなぐ架け橋として働くのであれば、それは積極的に活用したいところです。
そしてこの架け橋は後々重要な働きをします。
患者とカウンセラーは、時に拮抗し、厳しい状況に置かれることもあります。その時こういった日ごろの「嬉しい」の積み重ねが、二人を分かつことなく踏みとどまらせてくれるのです。
もともと人を信じられない方のための、カウンセリングルーム。
だからこそ、「ちゃんと覚えてるよ」というメッセージの投げかけが、信じるきっかけを与えてくれるのです。
「心の流れ」のカウンセリング準備
私はまだカウンセラーとしては未熟な段階にいて、だからこそ復習に30分~1時間。予習には1~2時間費やします。
キャリアを積んだカウンセラーなら、聞いたそばからさらっと言葉が出てくるのかもしれません。ですが、私はそうもいかないのでいろいろな想定をします。
言ってみればプレゼンテーションの準備をする、みたいなものです。
「こう進んだら、こういう質問が出るだろうから、これはあらかじめ考えておこう」と準備することで、雲行きが怪しい方向に転んでも、なんとか舵を取り直せる。
予習のありがたさに身をつまされます。
もちろん、予習とは違う方向に流れるときはその流れに沿って、ない頭で必死に考えます。そういうときでも準備しているからこそ思い浮かぶことがあると信じています。
出たとこ勝負、という考え方もなくはない、と思いますが、患者さんは過去を受け継いだ状態で私の前に現れるのですから、過去をむげにはできません。
予習することは患者さんへの敬意を示すことであるとともに、カウンセリングをよりよきものにする行為だと、私は思っています。