「自分が何をしたいのか分からない病」の原因

私は人より欲が薄い方だと思う。
女の子の憧れであるウェディングドレスに興味を示さず、子供が欲しいとも、家が欲しいとも思ったことはない。将来就きたい職業を思い描くことさえなかった。

そして今、私と同じく自分の求める物がなにか分からず終いの人が増えている。その背景に潜むものは何かを考えていきたい。

子供の頃に置かれた環境

やりたいことを口にしたとき周りから「あらっ、楽しそうね~♪」「面白いアイデアだね」と言われた子供は、自分の「やりたい」気持ちに忠実であろうとする。周りの応援と自分の気持ちが重なって、ちょっとやそっとのことにも負けず「やりたいこと」に突き進む。

一方周りから「そんなことしてどうなるの?」「それよりこっちを早くしなさい」と言われた子供は、せっかく生まれた「やりたい」気持ちが周囲の声に押しつぶされ、自らの未熟な考えを恥じて隠す。代わりに周りの期待に応えるべく「やるべきこと」に無理にでも突き進む。

子供の性格が積極的か消極的かを決めるのは、コップの水が半分も入っているか/半分しか入っていないか、の認識の違いとされているが、それを決めているのは生まれ持った性質以外に、周りからのなんと声を掛けられたか、にもよる。

進む方向に与える影響

子供が判断のつく年ごろになると、進学先は自分で選ぶ。ところが自分の欲を封じ込めた子供に「やりたい」気持ちは残っておらず、就職に有利、人気がある、偏差値に合うといった基準で行き先を決めていく。
社会にでるときも、人気企業、給料が良い、世間から注目されている、といった外の物差しで行き先を決める。

彼らにとって大切なのは、世間からの評価であり、羨ましがられることだ。
説明不要で賞賛される選択こそが、正解である。

役立たず扱いを受ける

だが、社会人になると、外の物差しによって飾り立てられた自分は使いものにならない。
外の物差しは新しい価値を生まないため、目新しさを求める現代に唯我独尊の価値を生み出せないのだ。

「やりたい」ことをやってこなかった人間は、何事も標準止まり。特別上司の目にとまる点を持っていないため、会社の傾きとともにリストラされやすい。

大人になってから「やりたい」を手に入れるために

このように「自分が何をしたいか分からない病」を抱えた人は、無難で角のない人生を歩む。そして一歩踏み外せば、描いていた人生からまっさかさまに転落する。
一見すると無難で平凡な人生は、代わりのきく人間というリスクを背負っている。

そしてなによりも本人がその人生に納得していない。

人生から楽しみを奪ってしまうこの病が発症したのは、先の説明からも相当に昔であることがわかる。それだけでなく、人生の大半がこの病に侵されていたことにも気づいただろうか?
そして原因は自らにあったのではなく、育ってきた環境にあることも、なんとなくお分かりいただけただろうか?

もしこの先空っぽな人生を歩むのをやめたいなら、外の物差しを知る前の純真無垢の時代に立ち戻ること。
自分が何を好きなのかを感じて(考えて ではない)みることだ。

ただでさえ、大人は「するべき」ことに押されて「やりたいこと」を見失いがち。
大人になってからの趣味が大切だよ、というのは、「やりたい」気持ちを持ち続けるための処方箋なのかもしれない。