「~な人なんだよね」にムカつく理由

最近はずいぶんと減ったが、自分のことを「~な人なんだよね」と説明する人がいる。

  • (私って)忙しい人なんだよね
  • 寂しい人なんだよね
  • ○○が食べられない人なんだよね

この言葉を聞いて、もっと話したい・聞きたい気分になる人がどれほどいるだろうか?
おおよその人は「…」という反応しかできない。

それには理由がある。
是非この理屈を知って、人に「…」と思われないようにしたい。

本人不在のトークとは?

例として最初に挙げた

  • (私って)忙しい人なんだよね

を取り上げると、素直な表現は

  • (私は)忙しいんだよね

となる。

前者の主体は自分を外から見つめるエアー自分。エアー自分が相手に話し(Talk)かけている。
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発言している主体が、エアー即ち実在しない存在なので、話しかけられた相手は本人不在の中で話すことを強いられ、「で?この先どうすれば?」と行き詰まる。

仮に本人が主体の会話だと
自分「(僕は)忙しいんだよね」
相手「そりゃ、疲れも溜まって大変でしょ」
と返事できる。

これがエアー自分が主体の会話
自分「(僕って)忙しい人なんだよね」
となった瞬間、頭の中になにがよぎる?
「返事する相手は、どこ?」とうろたえている自分が思い浮かぶだろう。

自分の価値を確認するのに他者を使うから重くなる

エアー自分で話しかけてくる人は、なぜか得意げだ。
外から見た自分の悲惨さや気の毒さをアピールし、自分デコレーションに余念がない。まるで飾り立てれば立てるほど、自らに価値が生まれると思っているかのよう。
しかしその裏で懸命に可哀想さをアピールして価値を生み出さねばならないほど、「自分には価値がない」という思いが見え隠れする。

「自分に価値がない」と思っているから、エアー自分に価値がある自分を生み出させて、それを他人に負い被せている。
そのことが相手を無言に、ひいては悶々とした気持ちにさせる。

自分がやるべき仕事を他者になすりつける行為は相手に負担を感じさせる。「~な人なんだよね」は、自らを不在にして言い返せない防御を張った上での”(私を)労ってね”の強制。
完全な依存行為です。