あなたに居場所がない理由、分かってる?

私の雑談はスルーされるのに、あの子の雑談にはみんな好意的な反応を示す。
一体何がちがうの?

と思ったことはないだろうか。
私がブスだから?もしかしてクサい?それとも存在自体が要らないからーなどと思いを巡らしてると、消えてしまいたくなる。
”いつもそうだ、私には居場所がナイ”

ちいさな少女が膝を抱え込んで隅っこでうずくまっている。それがワタシ。

でもね、安心して。それはあなたが要らない存在だからなんかじゃないよ。あなたが知らないだけ。会話ってどういうものかを知らないだけ。お手本がなきゃ、どうしていいかなんて分からないでしょう。あなたにはよき手本がなかった。代わりに悪い手本ばかり見せられてきた。

知らない間に、悪い手本を真似ちゃったんだよね。
これからはよい手本を見て、学ぼう。そうすればあなたもきっとみんなの輪に入れる。

悪い手本がつくるあなた

あなたの親は普段どんな口調だったか覚えているだろうか。


たとえば運動会のかけっこで転んだあなたに
「もう、ちゃんと前見て走らないからよ。ビリになっちゃったったじゃない!」と言ってはいなかっただろうか。

あなたが親戚の家に遊びに行くとき
「忘れ物しないでね。あちらにご迷惑かけるんじゃないわよ。」

親が自治会の会合に参加するとき
「このプリント明日までにしあげなきゃね。会議の前に配るんだから。」

この3つの例を ”ふーん、当たり前の言い方じゃん” と思ったなら、要注意だ。
この3つを言われたとき、心の中にどんな景色が拡がるか、想像して欲しい。



なにやら締め付けられたような、苦しい感じを抱くのではないだろうか。
かけっこで転んじゃいけない、忘れ物をしちゃいけない、割り振られた仕事(プリント作成)はしなきゃいけないーこの「しなければならない」に縛り付けられると、人は自分を「出来なきゃダメ人間」と決めつけ始める。
決めつけが身体にまとわりついて、ニッチもサッチもいかなくなり、自然と暗澹たる未来を想像してしまう。

一連のこの流れを幾度となく目撃し、それが心の中に居着いてしまったあなたは、どんな出来事も「出来なきゃダメ人間」という観点から見るようになる。たとえ楽しみな遠足でも「みんなに遅れをとっちゃいけない。バスの中で吐いたら迷惑がかかるから酔い止めを飲まなきゃいけない。先生の言うことを守らなきゃいけない。」

「しなければならない」がまず最初に来る。

当然ながら周りのお友達にも「●●ちゃん、静かに座ってなきゃダメだよ。」「先生の言うことは聞くべきだよね」といった類いのことをいい、周りから「あいつ説教くせーな」「なんかお堅くない?」と陰口をたたかれるようになる。

そしてあなたは ”いつもそうだ、私には居場所がナイ” に引き戻される。

よい手本がつくるあなた

一方同じシチュエーションであっても親が次のような反応をすることだってある。


たとえば運動会のかけっこで転んだあなたに
「一生懸命走ったから、足元が絡んじゃったんだよね。転んだっていいよ。それも一つの思い出だよ。」と言ってはいなかっただろうか。

あなたが親戚の家に遊びに行くとき
「お母さんの子だもん、あちらの家でも上手くやれるよね。」

親が自治会の会合に参加するとき
「このプリント明日までにしあげたら、会議に間に合うわね。」

この3つを見たとき、なにか先の例と違う感想を抱かないだろうか。ホンワカとした温かみや自分への肯定ーそういったものが心に流れ込んでくる。そして「なんだか出来そう」という気がしてくる。
自身の中に見いだした可能性が、溌剌とした未来をあなたに想像させる。

このような親の反応を見ながら育ったあなたは、どんな出来事にも温かみや肯定を見いだそうとする。たとえちょっと面倒なお仕事でも「きっとこれは何か意味があって役割が回ってきたんだ。やってみたらなにか発見があるかも」

と、可能性に目を向ける。

そんな可能性に満ちたあなたは周りのお友達に「●●ちゃん、△△が出来るから静かに座ってるも出来そうだよね。」「先生のお話を聞いたらなんか分かるかも」といった類いのことをいい、周りから「あの子といるとナンカ楽しい」とwelcomeされる。

だからあなたは ”ワタシには居場所がある” と思える。

あなたに居場所がない理由はコレ

さて、ここまで読んでみて、おおよその人は悪い手本によって自分は作られた、と思っていることだろう。

そう自覚して改めて自分の言葉や文を見直すと、出てくるは出てくるわ「しなければならない」感。第三者の立場で聞くあなたの言葉のなんと窮屈なことか。つまりあなたもあなたの言葉を好きじゃない、ということ。

ならば人が離れていくの致し方ない。

でも落ち込むことなかれ。ようするにあなたを蝕んでる病巣はちゃんと見つかったのだから。あとは、どうやっていい見本を元に考え方を変えていけるかという問題だけなんだから。

やさしい表現にあふれた本を読むでも、意図して自分の言葉を換えてみるでも、カウンセリングを受けるでも、やり方はいくらでもある。
学べばかならず居場所はできる。

だから自分を可能性のあるヤツだと見てあげてね。