「重い」と言われる人のやってる過ち

彼氏に「重い」と言われてフラれたことのある人、けっこういるんじゃないかと思う。

概して女性は、「重く」なりがちである。だからといって、なにをすれば「重く」なるのか理解している人は少ない。無意識に重くなる女性たち。彼女たちは何を捨ててしまえば良いのだろうか。

身近な「重い」存在==母親

母親というのは、心配する生き物である。帰るのが遅くなれば、LINEが鳴り止まず、異性の影がチラつけば、紹介しろとしつこく迫る。とにもかくにも、何かあってはいけない、とあれやこれやと先回りする。

それに対して娘は、「自分のことは、自分でできるから、放っておいて!」と、口を出しまくる母親を疎ましく思う。

いつまでも自分を子供扱いし、何も出来ないと決めつけ、なんでもやってあげようとする行為は、娘の成長を妨げる。それでも、成長より「何かあってはいけない」という我が心配を優先する親。

その心の奥には、「私は失敗したくない」という思いが強く隠れている。

人と自分を切り分けらぬ母親

その強い思いを心の中で抱いている分には、一向に構わない。だが、他者、この場合は娘に対して出してきたとき、ずしりとした重さを感じる。娘は娘自身に、「私が遅く帰ると、私が心配だわ」とは思わないし、「私が異性と連絡をとると、私に悪い虫がつくんじゃないかしら」とは思わない。

別に自分が気にしていないことを、他者(母親)が気にして、私(母親)と同じように思え、と強制されることが、重いのだ。

個人の感情の持ち方は、誰に侵襲されることもなく、自由に持ってよい。しかしながら、母親という特権を笠に着た他者(母親)だけは、なぜか侵襲してもよい、と思い込み、ずかずかとこちらの領域へと踏み込んでくる。

明かな人権侵害なのに。

母と娘の負の連鎖

そのような親に育てられた娘もまた、自分にとって特別な存在(親友、恋人、家族)に対して似たような態度を取る。それゆえ冒頭で述べたような理由でフラれるのである。

人のことを思う、というのは、自分の思いをそのままべたーっと投げつける、という意味ではない。密かに相手の自立と幸福を願う、ということである。従って、相手が求めてくる時以外は、遠くから見守るのである。かりに助けを求めてきたときでさえ、安易に手を貸さず、相手に考えるヒントを与えるのである。

どこまでいっても「その人の問題はその人のものである」という境界を越えず、だからといって無視するのではなく、その人が困難を乗り切れるよう力添えする、というのが、助ける、ということだと思う。

そうやって、境界を守ってくれる相手なら、下手に強制されることもないだろうと、安心して相談できる。つまり、線引きのしっかりした人ほど、気軽に頼れるのである。

自らへの戒め

さて、これを読んだあなたは、相手との間に境界を引けてるだろうか?
なんでもやったげなきゃ、なんか役に立たなきゃ、と勝手に手足を出してはないだろうか。

相手はいっぱしのオトナである。だから、自分で出来るのである。

そう相手を信じよう。あなたが手を貸せるのは、相手がSOSを出してきたときに、相手の力を引き出す手伝いをするだけである。けして、口や手を出してはいけない。心配という名の下に、相手に代わってなにかしようなどと思ってはいけない。

何かしてあげたい、という思いに駆られるかもしれないが、それこそが真っ先に捨てるべき要らぬ心遣いである。