おしゃべり好きは寂しがり屋?

呆れかえるくらいおしゃべり好きな人っていませんか?

幼稚園バスを待つバス停で、会社の給湯室で、友人との集まりで、立石に水のようにしゃべりまくる。聞かされる方はゲンナリです。どうにかして、お口にチャックをさせたい。

「時間がないの」「体調が悪いの」「客人が来るの」と理由をでっちあげてなんとかその場を去ろうとするも、すっぽんが食いついたみたいに離してくれない…。困っちゃいますよね。

そんなおしゃべりの人って、どんな性格なのでしょうか?

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しゃべり好きは依存症

おしゃべり好きな人に、なぜそんなに話すのか?と尋ねると「しゃべりたいから」と答えます。本人もあまり分かっていらっしゃらない様子。そして、しゃべらずにいるという選択肢は、ないのだそうです。

頭に浮かんだしゃべりたい!は、誰かにしゃべるまで消えません。隙あらば、ねじ込んででも、しゃべりたい欲を解消しようとやっきになります。

周りの様子などおかまいなしに、皮肉を言われようが、呆れられようが、しゃべり続けます。この、脳にまったくブレーキがかからない状態、何かに似ていませんか?

そうです。依存症です。おしゃべり好きな人は、麻薬やギャンブルの依存症の人と同じく、止められないのです。ただ麻薬やギャンブルのように、お金がなくなったり、健康を損ねたりしないので、「止めたくても止められない」にはなりません。「止めようとも思わないし、止めない」。

この場合、困るのは周囲です。おしゃべりに付き合うために時間を奪われ、気力が失われ、生活のリズムが崩れる。下手したら、周囲が病院送りにされることだってあります。おしゃべりの厄介さは、依存している人と困る人が別々なことです。

おしゃべりが止められない本当の理由

おしゃべり好きな人は、感情の自浄作用が働いていません。

誰でも「わかってもらいたい!」「聞いてもらいたい」と思うほど感情が揺さぶられる瞬間はあります。けれどもその頻度は低く、日に2,3度あるかないかです。そして揺さぶられた感情も、即座に出そうとはせず、自分の中でかみ砕いて、整理して、解消します。

この自浄作用により、いちいち話さなくても、やっていけるのです。

ところが作用が働かないと、感情は毒素のように身体に溜まっていき、耐えられなくなったそばから、吐き出さざるを得なくなります。そこでしゃべるということでなんとか事なきを得ているのです。

本人はしゃべりたい理由を「しゃべりたいから」と言っていますが、実際は「しゃべって外へ出さないと耐えられないから」が正解です。

おしゃべり好きな人の脳の状態

自浄作用が働かないのはなぜでしょう?

学習する機会がなかったからです。
親、ないしは身近な人物が、思ったままを口に出すタイプだと、物事をかみ砕いたり、整理したりといった思考する力が育ちません。思考は、促されないと出来ませんし、小さい子供にはガイド役が必要です。

運悪くそういう機会に恵まれず、十分に思考が育たないまま大人になると、口の筋肉は発達していても、脳の発達は今一歩、となります。だからおしゃべり好きの話す中身に、起承転結もなければ、オチもなく、論理性もありません。

またおしゃべり好きが話を聞かないのは、聞いて理解するという高度な処理に、脳が追いつけないからです。脳の発達が不十分なため、高度な処理が行えずオーバーヒートを起こしているのです。

おしゃべり好きに取れる対策

おしゃべり好きが依存症ならば、素人である人々が下手に手を出してはなりません。
「あの人、おしゃべりさえもう少し控えてくれたらいいのに。なんかいい方法ないかな?」などといった生やさしい解決方を望んでも、ありません。かといって、「おしゃべりを聞くのが負担だから止めてちょうだい」とストレートに伝えると、激高したり、嫌がらせをしたりと、強い反発を食らいます。なるべくやめておきましょう。

では、どうするか。

とにかく近づかない。おしゃべり好きの傍にいるから、しゃべりを浴びさせられるのですから、距離をとればいいのです。「忙しくて時間が取れない」「やることがある」といって、なんとしても会わないか、その場を去る。

それでもダメな場合は、自分は他のコミュニティーと蜜なことを匂わせる。そして相手にもあたかもそういうコミュニティーがあるように話を振る。「私は中学の友人と映画見にいくから、あなたも学生時代の人と遊ぶといいよ。」などなど。
これは、自分に友達がいないと思われるのが嫌な人には、効果的です。

そして極めつけは、ジレンマを使う。
メールに次のように書きます。「○○ちゃんは、人のことを思いやれるいい子だと思うよ。だから当然おしゃべりが好きじゃない私のことも分かってくれるよね?」
これでおしゃべりをすれば人のことを思いやれない悪い子になってしまうので、自らの首を絞めることになる。だからしゃべりたくともしゃべれないというジレンマに陥り、抜けられなくなります。
これの特筆すべき点は、もし強引におしゃべりされても、「○○ちゃんが、そんなに人のことを思いやれないジコチューな人だなんて思わなかった。」と被害者面できるところです。

どれもおしゃべり好きに自浄作用を身につけさせるものではありませんが、身を護る手段としては、有効です。

なぜおしゃべり好きはメールを嫌う?

おしゃべり好きにとっての交流手段の魅力度は

直接会う>電話で話す>LINEをする>メールをする
の順です。

おしゃべり好きにとってしゃべる理由は、「しゃべって外へ出さないと耐えられないから」です。ということは、「外へ」出したぞー、という実感が必要です。直接会えば、相手という存在がいることは確実だし、電話なら相づちを聞ける、LINEなら既読マークがつく。けど、メールだけは壁に向かってしゃべっているような無味乾燥さを伴います。

それゆえ、「要件をメールでください」というと納得しない。しつこく電話してきたり、約束を取り付けようとします。

おしゃべり好きの自立を信じる

互いが心地よくいられる関係とは、相手の居場所を作り、相手に居場所を作られる、関係です。
相手の居場所を作るには、相手の話に耳を傾け、深く理解する。
相手に居場所を作られるには、相手に話を聞いてもらい、共感してもらう。

この同じレベルでつながってるぞという感覚が、信頼であり、絆です。誰彼相手でも成立するものではありません。
少なくとも話を聞くことのできない人は、同じレベルになれそうにない。

ここにおしゃべり好きが独りぽっちになる理由があります。そしていつも独りぽっちだからおしゃべり好きは、寂しがり屋。寂しさを解消しようとして、おしゃべりにいそしみ、さらに寂しさが増す。それは、おしゃべり好きの抱えた矛盾といえましょう。でも、どうしようもないことなのです。

なので話は戻りますが、おしゃべり好きは放っておきましょう。彼らには、彼らのタイミングでやり残した「自浄作用の学習」という課題に取り組む必要があるのです。