お葬式でかける言葉が見つからないことありませんか?

人が死ぬ、ということにはマイナスのイメージがつきまといます。哀しみ、憂い、喪失感、を表すかのような黒。

残された者の沈んだ気持ち、将来への不安といったものを察知した参列者は、「なんと声を掛けてよいものか…」と途方に暮れます。いわゆる「いい言葉」が見当たらないのです。

それでも式は進みます。ご親族とも言葉を交わします。そのとき何か支えになってあげたい、としたらどうしたらいいのでしょう?

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お決まりの言葉

定型語句としてもちいられるのは次のような言葉です。
「この度はご愁傷様でした。故人には生前大変お世話になりました。ありがとうございます」

親しい間柄ならこちらもよく使われます。
「おつらいでしょう。なにかあったら力になるからいつでも言ってね」

ただ親族側は、このような言葉をかけられても、慰めにもなにもならないのです。なんとか、心を軽くしてあげられる言葉は探せないものでしょうか。

「死」の捉えなおし

そこでもう一度「死」とは何かから、考えてみます。

「死」とは肉体が滅びて、天に召されることです。肉体が失われるから、もう故人と交流することができない。二度と交われないことが、哀しみをより深くします。

一方肉体を失うことで時空を超えて、会える自由が手に入ったかもしれない。ふとしたところで故人と交流を図れるかもしれない。それを現世で十分修行を積んだから、神様に重い足枷を外してもらって、自由に飛び回れるようになった、と捉えたとしたらどうでしょう。

死は、哀しいだけではありません。肉体からの解放という意味でもあるのです。

与えられた生をまっとうし、得を積んだ結果として次のステップへ進んだ。生きてることの卒業です。

とすれば、これがヒントになるのではないでしょうか。「生のまっとう」

故人が懸命に生き、与えられた寿命を果たしたことに敬意を払い、「精一杯生きてこられたと思います。立派な生き様でした。」とか、「○○さんの存在にいつも励まされてきました。本当にありがとうございました。」といった言葉が生まれてくると思います。

この言葉なら聞かされた方も、いくばくかの安堵や受容といった思うところが生まれてくることでしょう。

言葉の見つけ方

「死」は全人類が全力で取り組んで、なお、解決できない問題の一つです。我々は生まれた瞬間から、「生」と対で「死」を抱え込んでいます。なのにどの人にも平等に訪れる「死」について、あまりにも考えてなさすぎます。

それゆえ、「失礼をしないことばかり」を重視します。礼儀を重んじ、心を置き去りにするのです。

その「失礼をしないでおこう」という自己へ向いた矢印は、故人を送り出し親族の力になろうとする場面で、いかに無力であるかは言わずとも分かるはずです。

「生のまっとう」は、心が感じたことです。心で感じたからこそ、残された者の「思う」ところが出てきました。

心は力強いです。本質に迫る力を備えています。その心を言葉という形で引っ張り出すことで、相手の力になれるのです。

参列するなら、恩を返すつもりで小さくでも寄与したいですよね。形ばかりに頼らず、立ち止まって故人を思う心に意識を向けてみませんか。