”あるがまま”という概念について考える

「そんなに背伸びしないで”あるがまま”の自分を認めようよ。」
「”あるがまま”の自分を受け入れてくれる人がいない・・・」

このふたつの”あるがまま”、一つはいい意味で、一つは悪い意味で捉えられる。

前者は、自分に足りない物を羅列するのをやめて、今ある自分に目を向けるため

に”あるがまま”という概念を使っている。

後者は、今の自分を必要以上に肯定化して、成長しなくても十分だと思いこむため
に”あるがまま”という概念を使っている。

私自身”あるがまま”という概念は、未来へ進むために、足下の今を認知する
手段として使うのが正しいと思っている。

ところで、この”あるがまま”という概念はやっかいで、今を正当化する手段として
用いられる時、話している側も聞いている側も、どこが間違えているのか明確に
把握できない。
なぜなら、この”あるがまま”には、最もらしい理由がたくさん付いてくるから。
どんな理由かというと
「あるがままでいいって、あの人(恋人)がいいって言ってくれるから」
「あるがままでいても、お金がたくさん入ってくるから」
・・・なんとなく、よさそげである。
しかし、本人が心から「あるがままの今が充実しているから」とは言えない。
そもそも充実しているなら、”あるがまま”という概念すら表面化せず、振り返って
「あのときはヨカッタ」と感じるだけだから。

つまり、このときの”あるがまま”はいい訳なのだ。
翻訳するなら、”本当はこのままじゃいけないって、気がついているけど、
それが明確になったら、自分を否定することになるから、怖くて今をムリに肯定
している状態” ということになる。
その状態は-自分への欺き、感情の歪み-である。

”あるがまま”の元の意味は、素直に今の自分を認めることだ。
今のダメさ加減も含めて、今を認めるからこそ、未来への扉が開く。
今を見ないふりをすることは、”あるがまま”ではない。
この単語が誰かの口から放たれるとき、聞く側はどういう”あるがまま”なのか
聞き分けなくちゃいけないと思う。

もし、相手が偽の”あるがまま”を言ったなら、「”あるがまま”でいいって思っているなら
何も言葉に出すことないよ。そのまま生きなよ。」と突き放してみよう。
それでも相手が偽”あるがまま”を信じたいなら、そこから先他者が手を出す
領域ではないのだから放っておこう。