完璧主義

-最高の作品を作りたい-
-仕事で妥協をしたくない-

職人肌で、自らへの厳しい姿勢が見てとれますね。
上を目指し、自らを鍛えることはいいことです。
ですが、一歩間違うと破滅の方向へ向かう・・・。

歌手の尾崎紀世彦氏がアルコール依存症であるとニュースで報じられています。
依存症の原因が”音楽を一音でも外したらみっともない、と考え込む”性格なんだそう。

”最高の音楽をお客様にお届けしたい”なら理解できますが、”音をはずしたらみっとも

ない”は理解できません。
音をはずすことはみっともないことなのでしょうか?
尾崎さんが懸命に歌ったとしても?

そもそも完璧が貴重なのは、ミスすることが日常だからです。
余程の条件が揃わない限り、完璧は存在しない。
体調、年齢、技量、歌う環境、精神状態 これらが全て揃うことって、0.0000・・・1%くらい
でしょ?

それに完璧が素晴らしいわけでもない。
もし、スピーチで完璧に一言一句間違うことなく朗読できたとして、感動しますか?
それよりも、伝えたいという意志を持ってその場に挑んだ方が、人の心は動かされ
ます。
優れた音楽家は、譜面通り音楽を奏でることよりも、作曲家の思いや、時代背景
に思いを馳せ、その奏者ならではの解釈をもって、観客に伝える方ことを重視します。

尾崎さんは尾崎さんだけにしか出来ない歌の解釈、独特の声をお持ちです。
なのに、完璧であることに固執する。
それは何故でしょう?

その理由が一番問題です。
尾崎さん自身が、完璧でないと自分は歌手として認められないと勝手に思いこんで
います。
完璧ではない自分って、そんなにダメ子ですか?

表面的な完璧や礼儀正しさを自らに求めるのは、自分を自分で認めていないから
です。どんな自分であっても自分が認めれば、OKなのです。

私は犬を飼うことで、学んだことがあります。
犬は完璧など気にもしません。
そして、自分を責めたりしません。
でも、飼い主である私は、そんな犬に腹など立たない。
むしろ、常に自分(犬)を受け入れている犬に感心すら覚えます。
そして、過去に完璧を自分に求めたことを、今は浅はかだと思います。


どう生きたいのでしょう?
何を求めたいのでしょう?
完璧が実行できないことへの恐怖に怯える生き方ですか?
他者に後ろ指をさされない生活ですか?
そんな神経症的な生き方だから、依存症になるんです。

自分を見ましょう。
どんな自分も好きでいましょう。
自分でいいと思えば、それでいいんです。
責めることからは、心すり減らす世界しか見えません。
受容することで、心を膨らまし豊かでいる世界が作れるのです。

完璧主義は己の首を絞めます。
そこから抜けられるよう、心持ちを変えましょうね。