どんな時に涙はあふれるのか

昨晩”一杯のかけそば”を読んだ。
この話は多くの人の涙を誘った有名なお話だ。
物語は、派手な内容ではない。むしろ地味。
でもこの話にはたくさんの心の奇跡が散りばめられている。
ほんのちょっとの、その奇跡が心を魅了する。

我々は地味な世界に生きている。

毎日代わり映えしない会社と家の往復、家事・育児に追われる日々。
この話に出てくる人となんら変わらない。
だから共感できる。想像がつく。

借金を返さねばならない重圧、子供に一人一杯のかけそばを食べさせてやれない
現実、毎日親子で身を粉にして働き、授業参観に母親は仕事でいくことができない。
3人なのに一杯のかけそばしか注文できない気恥ずかしさ。

我々と同じ、いやそれ以上にたくさんの物を負っている一組の家族。
それでも互いに支え合い、一生懸命生きる姿こそ、実は我々が一番求めている
ものではないだろうか?
現実が辛くても、分かってくれて支えてくれる人がいれば生きていける。
我々が心に押し込めている”一番求めているもの”が、この話を通して意識上に
あふれ出たとき、それは涙という姿で現れる。

感動とは、自分が求めているものはコレなんだ!って心が気付くこと。
本当の自分に出会うこと。
人が泣けるということは、まだ本当の自分が死んでないってこと。
泣ける人は諦めちゃいけない。

頭が心にフタをして、意識に上がってこないようにどんなに押さえつけても、
心が反応するものに出会ったとき、心はそのフタを蹴飛ばし、一番上に上がってくる。
反応できるものに多く出会えれば、本当の自分を取り戻せる。