何が地雷になるかは分からないね

親戚の集まりにケーキを持って行った。そこに糖尿病の人がいたために、配慮がない
と責められた・・・という話、なんか解せないなぁ~。

そりゃ、糖尿病の人は甘い物を控えるという制限が付いている。だからといって

全員が甘い物を食べることをやめましょうと言われたら、なんで?と思うでしょう。
ケーキを食べたいのに食べられない糖尿病の人には、一言「気がつかなくてごめん
なさいね」とこっそり言っておけばいい。その程度。

それをケーキを持ってきたあなたが悪いと悪者呼ばわりされたら、お金払って
気を回したのにそりゃないよねって凹むだろう。気の毒すぎる。

不妊の前で妊娠や子供の話をしない、盲目の人の前で見た目の話をしないという
のは、あくまでも個人の配慮の範囲であって、それを義務と捉えるのは無理っちゅー
もんでないでしょうか?
当事者がその話で傷つくのであれば、相手と疎遠にするなり、距離を置くなりすれば
いいだけのこと。

「こうすることこそ善!」みたいな言い方をする人は、自分が絶対的判断者とでも
思い上がっているのでしょうか。
私は、そういう人とは相容れないし、いつ相手の地雷を踏むか分からないので
触れない、近づかない、話しかけないようにします。

絶対的判断者ほど、実は自分をあがめ奉って欲しいとてぐすね引いていますから。
本当の「自分」が弱いんです。
だから、弱い自分が貶められるのと似た感覚を他者が負っても許せない。

話し合いすればいいだけじゃないですか。
互いに未知なる存在なんですから。
相手には自分の思いが巡らない小宇宙があるという無知の知があれば、絶対的
判断者には、恐れ多くてなれないと思いますがねぇ・・・。