立場によって感じ方が全然違う

自分がある事象に関係あるかないかで、事象の見え方がコロっと変わる。
そのことについて考えてみる。

仕事場に、できたてのピザを持った人がやってきたとしよう。

ピザはとてもいい香りを放つ。
そのとき、もし自分がピザを食べられるのであれば、その香りは好ましい存在となる。
が、もしピザが隣のグループへの差し入れだった場合、その香りはただの嫌がらせに感じる。
だって仕事場はお昼でもない限り食事する場ではないから。

すなわち自分がピザに対してどの立場にいるかで、ピザの印象は全く異なるのだ。

この事実が指し示していることは、「ある事実は自分の立場によって如何様にも感じる」ということ。
これをわきまえていないと、自分にとって嬉しいことを相手が喜ばないと憤慨してしまったりする。
例として最適なのは「結婚」。
一般的にはめでたいとされることでも、ほぼ同じ条件で結婚という岸の向こう側にいる人にとって他人の結婚話は心が落ち込む原因になり得る。
どんなことにも感情を表出するには、それなりに配慮が必要なのだ。

ところでピザに話を戻すと、もしピザの配達が3軒となりのビルで、臭いもまったくこない、ピザの配達されたことさえも知らないなら、ピザの配達などしったこっちゃない。無害である。
ということは、嫌悪の感情はあくまでもピザの配達の情報を知り・感じることによって生まれる。
すなわち近い者同士がいがみやすいというのは、身近で知りうる情報が多いから。
特に相手が得た権利を自分がもらえた可能性が高ければ高いほど、嫌悪の度合いは増す。

だから身近な人ともめたくない、嫌悪を持たれたくないと思うならば、できるだけ情報を出さない。もしくは相手の方が勝っていると錯覚させることだ。
訊かれて素直に答えてしまったがばかりに反感を買うなんてことは、ザラにある。
なんでもぶっちゃけがいい、なんてことは、ピザの例で見て分かる通りありえない。
ピザがあることをぶっちゃけられた上で、食べられない側を機嫌が良くするなんてことは不可能だから。

近ければ近いほど、距離を保ちましょうというのは、こういう理屈だったのね。