我々は自分にあった出来事をつい、ネット上に公開したくなる。
「こんなもの、見つけた!」「今日はみんなで集まったよ♪」「プレゼントもらったんだ~♥」
無意識にやってるこれらの行いは、自分にどんな益をもたらすのだろう?
なんでそんなに見て!欲しいの?
見られると嬉しいから?
注目を集められるから?
自分が力を持った存在だと思えるから?
誰にも気に留めてもらえないと無視されてる気がして嫌だから?
誰かに見てもらわないと自分が何者かわからないから?
自分で自分がどんな人間かを確定できないから?
嬉しいとかヤッターといった感情が「あってよいもの」とお墨付きをもらいたいから?
私の感情を誰かに保証してもらいたいから?
誰かに「あんたのやったことOK!」と判子を押して欲しいから?
私が私の感情のお守りをできてないから?
私が私の感じたことを何より優先できてないから?
私が私の感情を疑ってるから?
私という存在がひどく曖昧だから?
私が私とよく検討を重ねて、私の意見や感情を確定してあげてないから?
インターネットがくれるもの
ネットを通して得られるものは、私の曖昧さに対する答え。
何かを書き込んで、画面の向こうから「いいね」「最高だね」「素晴らしいじゃん」という賞賛がもらえてはじめて、ぐらぐらしてた自分がしっかりとしてくる。
自分の外側の信号をかき集めて、自尊心を高めたい。
なにかに取り憑かれたように、一生懸命それらをかき集めるのは、幻の「すごい自分」を演出して、そいつにすがりつきたいから。
等身大の自己が分かってないから、幻の自分に寄生して、「すごい」に乗っかりたい。
インターネットはそれが可能。ホンモノよりもずっとよく見せられる。
インターネットなしじゃ生きられない?
誰にも認めてもらえず一人でいると、「つまんない自分」が現れてくる。その自分から目を反らすのに最高のツール、それがインターネット。
”私、大丈夫?”
”私、普通?”
それを確かめたくて、あわよくば
”私、スゴイ?”
”私、イケてる?”
まで確かめたくて、ネットの向こうの民に盛った自分を晒し、自分以下と思う人を見つけて一安心する。
こうなってくると、ネットなしじゃ、生きられないね。心の安定を図ることさえ難しい。
自分を受け止める勇気、持てる?
写真の枠に収まる自分がどれだけキラキラしてようとも、いつもの散らかった部屋でコンビニ弁当を食べてる自分がなくなるわけじゃない。
無理に着飾ろうとするから、そうでない自分を受け入れられない。
その散らかったパジャマや、ヘアーブラシ。それが自分の化身だよ。
それくらい自分を粗末に扱ってる。
等身大の自分を受け止められないから、使ったら、ポイッって投げる。ブラシも肉体も同じ。
そんな自分を大切にしてるって言える?
でも、シミだらけでも泥だらけでもいいじゃない、と思えるかが大事。
今から目を反らしたら、きっとなんにも手に入んないよ。どんなおんぼろ自分でも信じられる自分であれば、いいじゃないか。
キラキラしてる自分なんて要らないよ、そのままの自分を受け止める勇気をもとう。
インターネットはまやかしの力を与えてくれるけど、本質的には何も変われないんだから。