美人はなぜイージーモードか

美人だと、しでかしても許される
美人は、居るだけで有り難がられる
美人なら、面接を楽々通過

このように美人は何事も上手くいく、と思われています。
確かに思い浮かべる美人は、恋も仕事もイージーモード、と思わなくもない。でも美人だけど上手くいっていない人もちらほら。

ということは、美しい顔立ちだけが成功の理由ではない?
彼女たちをイージーにする理由が分かれば、美人でなくとも人生をイージーにできるかもしれませんよ。

美人にも上手くいかない人はいる

美人ならどんな人でもイージーに生きていけるのでしょうか?

  • たとえば美人がゆえに同性からひどく嫉妬され、引きこもってしまった人
  • たとえばひっきりなしに告白されて、「なんだ顔だけか」と男性不信に陥った人

このように美人とゆえども、つまづいたり、行き止まったり、中には詰んでたりする人もいます。ということは「美人」はどんな時でも最強のカード、というわけでもなさそうです。

美人カードの力

そもそも美人であることに、どのような利点があるのでしょう。

美人を見るとデレデレする男性の顔を思い浮かべるのは気分が悪いですから、ペットや赤ちゃんを見たときの己の心を思い浮かべてみます。すると、「なんか幸せもらってる」ことに気づきます。ペットが肩を叩いてくれるわけでも、赤ちゃんがお金をくれるわけでもない。なのに、ただ、そこにいるだけで、我々は何かを与えられます。

この「何かを与えられる」、つまりGIVEできるのが美人の利点です。
本人が意図しなくてもGIVEしてしまうので、その時点で普通の人より一歩リードしている。そのリードがあるから、何もしなくても相手から快い対応を引き出せるのです。

美人が必ずしもイージーモードとはいえない理由

でも我々はそれだけで人の価値を量るわけではありません。
頭の回転の速さや、行動力、そしてなにより思いやる心を通じて、相手を判断します。従って、美人だけど○○の場合に、そのパンチ力が大きいと、○○の人という印象を抱きます。

○○が美人をもち上げる要素ならともかく、下げる要素であるならば、美人の利点はたちどころに消え失せ、快い対応をしてもらえなくなります。これが美人イコール、イージーモードとはいえない理由です。

普通でもイージーモードになる方法

では、反対に普通の容姿であった場合、イージーモードとは行かないのでしょうか。もちろん何もせずにいればGIVEしてませんから、快い対応をしてくれることはないでしょう。
でも美しさを越えるGIVEをすれば、美人さんより多くを手にし、世間を上手く渡り歩くこともできる。

結局GIVEできる総量の多い人ほど、豊かな人生を送れるのです。美人はあくまでもGIVEの一端でしかない。本道とは違います。もしそれを本道と信じる人がいたとしたら、その人自身、薄っぺらい物の見方しかできていない、というだけこと。美人も普通も皮一枚を剥いだら、同じガイコツですから。

美人は確かにリードしています。でもそのリードは覆せないほど大きなものではない。私は美人ではないからとハナから負けを決め込むことはありませんよ。今はface to faceでなくても仕事や遊びが成り立つ時代ですから、自分のGIVEできることは何かを考え、磨いていくことで、いくらでも人生をイージーにしていくことはできるのです。

最後に与太話として、作家の林真理子さんは、高校の頃、自分の声がいいことに気づいて地元のラジオのDJをやっていたことがあるそうです。けっこうファンレターをもらって嬉しかったと言っていました。自分のGIVEできることを理解し行動に移すと、やった分返ってくる典型的な例だと思います。(林真理子著 「野心のすすめ」参考)