生きづらいあなたが生きやすくなるために出来ること

アダルトチルドレンが持つ典型的な感情「生きづらい」。

これを「生きやすい」に変える方法があるとしたら、知りたいですか?

実は、なくもないです。あなたが想像しているようなのとは違う毛色だけど、心の大半をいつも占めている不安から離れられるのは確かでしょう。

一体どんな方法なのでしょう?

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大地を変える

あなたが今たっている大地(価値感)は、どのようなものですか。
おそらく、「分かってもらえる、受け入れてもらえる、愛してもらえる、ことこそ幸せ」です。

心からわかり合える親友がいて、守ってくれる親がいて、世界で一番私を愛してくれる恋人や家族がいてくれたらなぁ~って思ってます。

さて、これはひと言でいい表すならどんな大地でしょう。

ーー「される」大地です。

自分に自信がないから周りに、「あなたのこともっと理解したいの、あなたを守りたいの、あなたを愛したいの」と言ってもらって、”あら?私けっこう求められてるし、価値があるんじゃない?!”と思いたい。

自信のなさを他者からの言葉で埋めたいんです。そして期待通りに埋められないと不満を持ってしまう。 ”あの人があーしてくれなかった。私はこんなにしてあげたのに、お返しさえなかった。あの人の態度はなに?失礼じゃない!!”

どんどんわき上がる不満のせいで心が不安定になる。その不安定さがあなたにささやくのです。「お前なんて生きてる価値ない。だからヒドい扱い受けるんだよ」と。

十分な「される」を感じることなく、内なる声に「生きてる価値なし」とささやかれる人生は、とてもとてもツラいです。生きづらいと感じても無理はありません。

そこでこうなった原因を辿ってみます。すると「される」大地になっていることにぶち当たります。

もし立ってる場所を、「する」大地に変えたとしたらどうなりますか?

自信があってもなくても、やりたいと思うことをやり、満足を求めて突き進むとき、そこまで外野の声は気になるでしょうか。言いたい人には言わせとけ、私はこれでいいんだ!ってなりませんか?

「される」大地にいたときに比べて、他人からの影響が小さくなります。誰だって真正面から否定されると、腹は立ちます。でもそれは自己をゆさぶるほどの影響をもたらすのではなく、単に「分かってないんだな」という諦めの形でしかない。ツラいというより、わかり合えないんだなというただの決別です。生きやすさとはなんにも関係ありません。

ということは、もし「される」大地から、「する」大地へと移動できれば、生きづらさをなくせるかもしれません。

「される」大地にいるままだと勝負しようとする

「される」大地にいる人は、自分の不幸を誰かのせいにしたがります。

親がちゃんとしてなかったから、友達の性格がヒドかったから。そういって自己正当化を図ろうとします。それゆえ不満の解消は、悪い相手の謝罪によってのみ、成立すると信じています。

悪を成敗する正義の味方気取りです。

とくに親に謝罪して欲しい、という要望は多く耳にします。では、思いの丈を親にぶつけて、期待通りの謝罪は得られるでしょうか。50%以上の確率で得られないことでしょう。

なぜなら、親には親の言い分があるからです。あなたの正義イコール親の正義ではありません。血が繋がっていようがなんだろうが、親の価値感とあなたの価値感はまったくの別物です。あなたの中のヒドいが、親にとっては当然極まりない、ということだってあるのです。たとえそれが暴力行為のようなものだったとしても。

だからもし本当に生きやすい人生を選択したいのならば、謝罪によって解決を図ろうなどとはしないことです。自分に新たな展開、すなわち「する」の大地への引っ越しを促すことです。

私は無価値だという割り切り

非情な物言いかもしれませんが、あなたは無価値です。「生きる価値があるか」とは別の意味で無価値です。だれもあなたを気にしてなどいないし、話を聞きたいなどとも思ってないし、会いたくもありません。

これは、誰もが持つ宿命です。耳当たりよく、「みんな生きてる価値がある、生まれた意味がある」というのは簡単ですが、そう信じて人生を駆け抜けられる人はいません。どこかしらんで躓いて、自分の存在に疑いを持ちます。

でも、それでこそありのままの正しい認識です。

日常を思い返してみてください。道ですれ違った人に思いを抱くことはありますか?話を聞きたいと思いますか?
思いませんよね。もし思うとすれば、見た目がきれいだったとか、興味を引く何かをもっていたとか、なにかしらのメリットがあって、接触したいと思う。そういうものを取り除いてしまうと、人が人に興味を持つことなど、まずないのです。

あなたが道行く誰かを気にしないように、あなたも誰かに気にされない、あなたが話を聞きたいと思わないように、あなたも話を聞きたいとは思われない。当たり前中の当たり前です。

問題はそこからどう付加価値をつけていくかです。

このときやりそうな間違いの一つに、世間の基準を追い求めること、があげられます。美人だったら、成績優秀だったら、お金持ちだったら、周りにメリットを感じてもらいやすいだろうと。

違います。価値は価値でも、人にどう思われるかという点から考えるのではなく、自分がどう思うのかという点で、価値を付けていきます。それは最初、冷笑を誘うような滑稽なことかもしれない。だれにも理解されないことかもしれない。けれどあなた自身が価値あるものに没頭し、磨きを掛け、唯一無二なところまで押し上げていくと、あら不思議。実を結ぼうと結ぶまいと、あなたの価値を認めてくれる人間が集まってくる。集めるつもりがなくても、勝手に集まってくる。これが、あなたが手にするものなのです。

「される」ことからの解放で身も心も軽やかに

「される」ことに幸せを見いだす人は、自分が”思われる”ことを必死でかき集めようとします。あっちがダメならこっち、この手がダメならあの手。

落ち着く間もなく、右に左に走り回ります。仮に十分に「思われる」ことがあったとしても、もっともっと思われたい、そういって欲は成長し続けます。欲には、「足る」という終着駅がないのです。「足らない足らない」と飢餓感に囚われたまんま。

これが「される」こととに興味を失うだけで、飢餓感から解放されます。さらには、たまたま降ってきた誰かの小さな心遣いに素直に喜べ、感謝できます。

感謝は「足る」を表現するのに最もふさわしい感情です。たった一つ感謝できただけで、あっという間に満足の終着駅に着き、そこからまた新たな旅を始められます。身も心も軽やかなまま、なんども新しい目的地へ旅立てる。なんて素敵な日常なのでしょう。

大まかな絵面を掴んで次のステップへ

ここまできて、「される」大地から「する」大地へと移動することの意義はおぼろげながら分かっていただけたのではないでしょうか。

もちろん、この説明だけでポッと変えられたら、人生楽勝なわけですが、少なくとも何をどうすればいいかの絵面は掴めたと思います。そして立つ場所を移るには、ガイドさんが必要です。

そのガイドは、自分がピンとくる内容を話す誰かでもいいし、うんうんと頷ける本でもいい。まずは誰かに接触して、立ってる場所を少しずつでもいいからずらしていきましょう。

もちろん「心の流れ」カウンセリングの中でも、そのようなガイドはやっております。お気軽にお問い合わせください。