同じ経験を求める意味

私だけが疑問に思うことかも知れませんが、自分の体験を挙げて「同じ経験をした人いませんか?」と尋ねる人、一体なにが目的でしょう?

自分の体験が特殊ではないこと?

自分が感じたことが他の人も感じているという確認?
とにかく共感をして欲しい?

自分だけで抱えていると大変だから、他の人と分かち合いたいのでしょうか?

確かに分かち合えれば一瞬は一人じゃない気がします。
自分だけじゃなかったんだ!という安堵感も得られます。

けど…
問題解決にはならない。
結局「だからどうした?」の部分は残るんです。

同じ体験という宿り木に一瞬身体を休めるのはいいことでしょう。
でもそれだけで終わっては結局何も変わらない。
貪欲に学び、真剣に悩む。
それは孤独でしか為し得ることが出来ない。

つまり巡り巡ってやっぱり一人なんです。
ですから必要以上に「ねえねえ、私と同じ考えかしら?」と問う意味ってないように感じます。
むしろ何度もそのような言葉を繰り返す相手には、「この人同質性しか求めていないのか?」という疑念さえ生まれる。

同質でも異質でもいいじゃないですか。
人それぞれなんですから。