自己内省
思ったんです。私は人の話が聞けないな~と。ずっと意識が自分へ向いてる。「あのね、あのね」と私の不満、悲しさを誰かにぶつけている。だから人の話を聞けない、聞くところまで心が到達していない。
私は自分を承認欲の塊のような人間だと思う。人によく美味しいモノを紹介したり、実際に家でごちそうしたりする。そのとき自分の心の底に渦巻いているのは「さすが、KOMAちゃんよく知ってるねぇ~」とか「めっちゃ美味しいやん、食のセンスええな!」という…
私は作業をするのは早いが雑な仕上げをする。その雑さが長年嫌だな~と思っていた。他人が同じ作業をするのを見て、”な な なんて丁寧なんだ!”と驚くことはしばしば。
起きる前ヘンな夢を見た。なにか言葉を書いた葉書を送ってくれといわれたのでその通りにやったら、「葉書の種類が違う、今書き直して。余白も自分で考えて埋めてね」と言われたのが頭にきて「そもそも葉書を出す責任は私にないだろう。理由A、B、Cによって責…
振り返ると、親に感情を支配され潰されの苦しい日々から脱却してもなお、Sという心の通じない対象にまたぐしゃっと心を握りつぶされる。私の心が救われるのは、ドラマの中で温かい世界を観たときだけ。登場人物を自分に置き換えて、心温まる世界のおこぼれを…
発言小町に書いてあった一緒にいて息苦しさを感じる理由1.共感力がない2.すべてにジャッジする もしくは分かりきった解決策を提示するというのに、ハッっとさせられました。私もそーいう傾向あったかも。そして、その傾向はまさに母ソックリだったかも。
昨晩寝られなくて、「家族に乾杯」カナダ編を観ていた。出てくる人出てくる人、めっちゃ魅力的で、え?なんでこんなにフレンドリーでオープンハートなん?って思わされた。
今から遡ること三年前、古くから付き合いのある人が家へ遊びに来た。その人とは学生時代の思い出を共有したこともあり、強引ではあったけど遊びに来たいとせがむので、まいっかと承諾した。
誰かと二人で話をしているときに、近所を通りかかった別の人も輪の中に入ってくると、途端に面倒くせぇと思って一歩引く自分がいる。
人と話す中で、相手に聞いてもらっているとき、「うん、うん、そっか」と頷かれながら最後に「でも、うちは○○だけどね」と付け加えられると、軽くショックを受ける。”あっ、聞いてなかったんだ”って。
私は失礼なことを言われても、その場で怒りを表すことが出来なかった。後輩にバカにされても、副社長に失礼なことを言われても、専務に意見を押しつけられても、上司に前職のことを否定されても、怒らなかった。だから舐められたし、言いたいこと言われたし…
このブログも書き始めて早3年が経つ。少ないながらも、定期的に読み続けてくれる人がいる。その方達からメールをいただくと、ほぼ書かれているのが 「私も同じ気持ちを抱いている」 である。
私は自分を常識人で、気遣いの出来る人だと思いたかった。なので、贈り物を欠かさず、たまに会う人にもちょっとしたプレゼントを用意していた。
私が結婚して間もない頃、同じ年の友人に「結婚しないの?」と言ったことがある。後で深~く、反省しました。
私は、弱い。だから人前で強く振る舞おうとする。 知らないことを脅威と感じ、知っていることを強みに思う。強みを出して、自分の弱さを隠す・・・そんな小賢しい人間なのだ。
ここまでさんざん人間についてブログに書きながらも、「実は人間に興味がない?愛がない?」と思い始めた。
20代中期、私はSさんに「よく話飛ぶねー」と揶揄されていた。そのとき自覚はなく、「そーいうもんかな?」と思っていた。 5年後・・・妹の話を聞いていると「話飛ぶなぁー」と思った。あれっ、これって過去に私も言われた事ある。姉妹で同じ話し方。
ぱれん(柴犬)に一日何度も、すり寄られる。たま~に”めんどくさいなぁ(ため息)”と思うこともあるが、「なぁに?」と努めて振り向くようにしている。そんな自分を客観的に見て、”愛があればこそ、この態度に付き合いきれるのでは?”と思った。
私は自分のことを「かわいいKOMAちゃん、きれいなKOMAちゃん♪」と一度も思ったことがない。写真を撮るといえば、逃げ回り、いい洋服を着ようとしない。いつも「どーせ、私ブスだし」と思って、踏みつぶす。そして、いつのまにかそれが習慣となっている。
甘え上手は、好かれやすい。とかいうフレーズをどっかの雑誌で見た気がする。
私は昔から美容室の人と仲良くなるのが大得意で、今通っている店だと名字を言えば店員さんの8割くらいが「あっ!あの人」と思い浮かべるくらい誰とでも話します。話のネタは旅行からファション、哲学から商売まで幅広く、パーマをする人、シャンプーをする人…
誰も気にしないけど、自分だけが気にすることってある。私はそれが「我」を出したということ。
他人のことをとやかく批判・批評したがる人がいる。褒めるのはいいことだが、一方的に価値観を押しつけ、自分の考えからズレを強制しようとするのは何故なのか?それは、放っておくことが出来ないから。
怒りはきちんと表出しないといけないかなと思います。なので、怒っていることを書きます。
きちんと自分の感情を守れるようになろう、怒りを出せるようになろうと思います。
私は親にものすごくプレッシャーを掛けられて育った。「ベキ論」で固められた義務に溢れる子供時代を送ったので、どのような子育てが本来の正しい形なのかが分からない。「ベキ論」はいつまでも我の中で引きずり、無気力や無感動といった陰を落とす。でも私…
改めて愛着障害(岡田尊司著)の愛着障害の克服の章を読んでいた。ふと目に入ったエリクソンの人柄を表す単語「あけすけさ」。あけすけさが患者の愛着不安を和らげさせたと書いてあった。
昔から心配事があると眠れないタイプだった。センター試験の前日とか、羊を何匹数えたろう?
私は自分に都合良く「繊細」な人間だ。「繊細」なんていうと酷く響きがよいが、本当にそうだろうか?
長いこと付き合いのあった友人がいたのだけど、どうしても許せないことがあって反論したら相手も応戦してきて、決着が付かずに絶縁、ということがある。